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私の制作環境からミキサー・外部音源・アウトボード・パッチベイ等というアイテムが無くなったのが2007年頃で、以降すべてDAW上で進行させてきましたが、久しぶりにミキサーに立ち上げてのMix用にサウンドデザインを施す機会に恵まれましたので、色々実機とプラグインとの違いなどを自分なりにチェックしてみました。
操るエンジニアは、業界のシーラカンスこと 伊藤 猛氏。(因みにシーラカンスとは、完璧と言えるほど当ページにふさわしい名称ですが、私がかってに命名した訳ではなく伊藤氏が代表を務める法人WEB SITEにも、このように紹介されていますので、正式名称?なんですよ)DAW関係などは 鈴木寛明氏が担当。スタジオは、伊藤氏お膝元のBunkamura studio
卓は SSLのJシリーズで、伊藤氏によるとJシリーズは繊細な音で、どちらかというと上品な音楽向きとのこと。残念なことにプラグイン版は、現時点で存在しないので比較は出来ませんが、手持ちのSSLプラグインと後日比較してみましたが、調味料で言えば醤油とソースほどの違いでは無く、ウスターソースと豚カツソースレベルの差に感じましたので、流石プラグインメーカーの努力を感じました。
立ち上げたオーディオトラックはノイズトリートメント及び、ある程度サウンドデザインされたファイルを使用しています。なお、私が外部スタジオに持ち出すファイルは基本的にイコライジングは極力避けていますので、SSL上でもEQは積極的に使用していましたがコンプは、ほとんど使って無く、必要なパートにはアウトボードを使用していました。アウトボードの中では、Bassでの定番の 青いこのコンプと EQが、プラグインでも、かなり実機に迫ってました。画像はJazz_Bassの音作りですが、なんと某メーカー製プラグインのプリセットと近い設定です。 しかし このあたりのEQとなるとプラグインは無いと思いますが、やはり次元が違ってきます。
DAWのみでMixするのと1番違いが感じられたことは低音部です。上品で重量感があり、何よりアタックが物凄く気持ちが良い事でした。後日DAW上で似せようと実験してみましたが、単体では結構良いところまで行くのですが、他の楽器が入ってくると存在感が別物となってしまい、再現はやはり難しいかと思いました。Mixに自然と立体感が出るのもDAWのみでは余り味わえない快感ですね。
あとVocal関係は 「伊藤マジック」が関係してきますので、到底真似できるレベルでは無いのですが、一般的にみても、モニター環境も含め自宅レベルで20時間位かけて、あれこれ苦労することが数時間でクリアできる環境は、やはり生産性にも繫がるかと思います。
現在流通している『音盤』に主に採用されている規格となると、’80年代に登場し、一般的には「音楽CD」と呼ばれるCD-DA(Compact Disc Digital Audio) です。
リニアPCM形式の2.0chステレオで、16bitのサンプリング周波数44.1kHzといった仕様であり、多チャンネル化への対応は、元々図られてはいませんでした。
その約20年後の2000年頃になって登場したものに、スーパーオーディオCD(SACD)と呼ばれる規格があります。 これはDVD-DLのように2層化された記憶層を持ったハイブリッドとなっていて、SACD層と前述のCD-DA層を併せ持つコンパチブル仕様(製品により)にて、従来機での再生も可能にしていますが、その場合にはこの規格本来の高音質が得られないと言ったマイナス面も含んでいます。 また、オプション扱いで収録音盤は限られますが、5.1chサラウンドをもサポートしているのも特徴の一つとなっています。
そのオーディオ・データ形式については、ΔΣ変調を併用した高速標本化低bitである1bit2.8224MHz(=2822.4kHz)であリ、この量子化語長・標本化周波数フォーマットはダイレクトストリームデジタル(DSD)方式と紹介されており、CD-DAと比較してより原音に近いと言われています。
但し、このSACD盤の制作には、DSD録音対応のDVDレコーダーと、このレコーダーで作成したDVDデータディスクのマスターをプレス業者に制作依頼する必要があるなど、いろいろな制約が多いのがネックにもなっています。
何れにせよ、その本来の性能を発揮させるためには、比較的高額な専用プレーヤー(或いはユニバーサル仕様機)が必要になることが条件と言えるのみならず、また専用プレーヤーやオーディオ・アンプのその製造年度により、独自のデジタル・インターフェイスの規格統一化が図られていない、といったような諸事情も存在しており、それらも中々厄介な問題と言えましょう。
そして、やはり同時期に登場したDVDオーディオについては、リニアPCM形式で、2.0chステレオ時で最大192kHz/24bit、5.1chサラウンド時でも最大96kHz/24bitに対応する、CD-DAと比べて高音質であると言われていましたが、やはり専用プレーヤーが無いとその本来の性能が発揮出来ないため、需要も伸び悩んで既にSACDよりも劣勢は明らかな状態にあるようです。
こうした、比較的一般に知られている“DISC”事情に於いて、その過渡期に登場し、我が国では国内盤の発売がなされなかった(と思います)ことからあまり知名度のなかった“DTS-CD”などと呼ばれているものが存在したのです。
そこで今回は、DTS-CDと呼ばれる規格についての特徴や、その長所、使用方法等について、解説しておきたいと思います。
そもそも、この規格はその名の通り、劇映画の立体音響方式=サラウンド方式の1つであるDTSの登場と関係しています。 劇映画の立体音響もアナログ時代にはその初期には主に70mmなどの大型フィルム用の多チャンネル・トラック方式から、その後マトリックス化音声による2トラック方式の「ドルビー・システム」へと変化し、それがデジタル化により「ドルビー・デジタル」へと進化を遂げた後、より高音質化の競合規格「DTS」の登場となりました。
そしてDTSの5.1チャンネル方式を採用し、従来からの音楽CDのフォーマットにそのマルチ・チャンネル音声を収録したものが、当時アメリカで「高音質盤レコード」の専門発売を手がけていてCDに於いても独自に既発CDの「高音質化盤」を発売していた“Mobile Fidelity”社などによる企画の“HDS”と呼ばれたシリーズで、‘90年代の後半に登場したのでした。 このDTS-CDともいう規格は、その製品(発売メーカー)によりその呼称がマチマチであったため、後に登場したDVDオーディオなどとの混同があるようですが、音盤自体はあくまでも“CD”なのです。
実のところ、DTS-CDというのは正式名称ではなく、DTS社は「5.1 Music Disc」と呼んでいるようですが、そのような表記は実際の商品には見あたりません。 Mobile Fidelity Internationalでは「HDS」=「DIGITAL dts SORROUND: HIGH DEFINITION SORROUND」、GEFFIN、A&M、Sony、からは「dts Entertimment:DIGITAL SORROUND」などと表記されていて、現在見るとCDなのかDVDなのかも分からないような有様です。
この規格の登場の背景には、アメリカにおけるホーム・シアター化の加速により、AVアンプの普及率が高まったことから、そこに搭載されているDTSデコーダー+デジタル接続したCD・DVDマルチプレーヤー等を利用することで可能となる「既存のオーディオ・ヴィジュアル環境を流用できる5.1chサウンド専用規格」というヴィジョンが浮かんできます。(但し、元ソースにより4chの場合もありえます)
現在では後発の、より高音質でサラウンドに対応したスーパーオーディオCDやDVDオーディオが登場したこともあり、普及率は高くありませんが、今では一般的な仕様であるデジタル出力を持つCD・DVDマルチプレーヤー等とDTSデコーダー搭載のAVアンプ(シアターセット)があれば再生可能なこの規格は、中々捨てがたい物があるといえます。
Dolby Digital 5.1 Surround音場調節用のDVDです。シェイプアップして48M程度に抑えました。
一般的な、テストトーンでの測定ではなく、音楽的に各スピーカーの音量を調節可能です。 お使いのシステムの調整後、音楽を聴きながらスピーカーの再生チェックをするのに最適です。 フォーマットは「DVD_VIDEO」ですので、再生しているスピーカーをTVやディスプレイで確認しながら音量調節ができます。
- 音楽は2パターン入っています。どちらもサラウンドリバーブは使用していませんので、L&Rでの再生中に残響音がLs&Rsなど、他のスピーカーで再生されることはありません。
- Song-1は、L→R→Rs→Ls→Cと4小節ごとに再生スピーカーが変わります。LFE(サブウーファー)は切っておくか、控えめな音量にしておいた方が、解りやすい場合もあります。
- Song-2は各楽器が「画像」と共に各スピーカーに出力されます。 早い話、5.1chの音楽を解りやすいMixにしたものです。
- 各曲は永遠にリピートします。戻る場合は「メニューキー」などでメニュー画面にお戻り下さい。
DVDディスクの作り方 ダウンロードしたファイルを展開(解凍)して「VIDEO_TS」のフォルダを、DVD-Rへ焼いてお使いください。焼く前に空の「AUDIO_TS」フォルダを作成して、一緒に焼くのが基本です。 (ソフトによっては自動的に空の「AUDIO_TS」が作られる物もあります)なお、PCでサラウンド再生させる場合は、ファイル再生に「VIDEO_TS」を指定すればOKです。
ライティングソフトでの焼き方は「VIDEO_TS」フォルダと「AUDIO_TS」 フォルダをデータとして「Disc at once」で焼きます。「VIDEO_TS」と「AUDIO_TS」は、名前を変えずフォルダごと焼きましょう。お使いのソフトによってDVDディスクのタイトルが必要な場合は「DVD_VIDEO」(半角英数大文字)が良いでしょう。よく分からない方は「VIDEO_TSの焼き方」で検索してみてください。
Surround Tuneフリーダウンロード 約48M zip圧縮ファイル
無断での流用・再配布を禁じます。
職業的な理由があり、モニタースピーカーで趣味の音楽も聴かなくてはならない人には、特におすすめです。 当然、私にもそのような環境が存在していたので、聴きたい音楽も必然的にそのセットで聴くことになります。 しかし、所詮モニタースピーカーの音であり、リラックスさせてくれるサウンドが出るわけでもなく、更にいけないのが、無意識に仕事でもないのにセンター位置で聴こうとさえしてしまうのです。
こうなると「音楽を流す・聴く」なんて癒される感覚はなく、試聴そのものです。 ところが、近年になってサラウンド関係の仕事上、5.1リスリング環境を構築する必要があり、とりあえず5個のスピーカーとLFE(サブウーファー)をセットすることとなりました。
元々スピーカーが6個とかあるシステム自体、過去の4chステレオで痛い目を見ている世代なので、潜在的拒否反応があり、さらに調整がやっかいな神経質なシステムと決めつけておりました。 しかし、これが正反対で、非常にリラックスして音楽に浸れる環境が構築され、音楽関係者やオーディオマニアが抱える「つい試聴」してしまう現象が現れないことに気がついたのです。
この現象は,不思議なことに高級なスタジオのセットでも、家庭用のセットでも基本的に変わりなく、何でだろう?と不思議だったのですが、結局、長い間2chステレオで、音の奥行き、左右の定位、高音、低音なんてことを聴き続けてきたので、サラウンドの聴き方の体が出来ていないことが原因だと思いました。 このため、一般のリスナーが感じるのと同じように、自然に音楽が入ってきたのでしょう。
さらに、真ん中で聴かなくてはいけないと思っていたのに、部屋の何処で聴いても良い感じで音楽に浸れ、小音量時や、結構いい加減なセッティングでも、充分効果的なシステムなんだなあと関心させられました。そう言えば映画館でも真ん中に座らなくても、それなりの迫力の音空間を充分感じられますよね、これには過去の4chステレオには無かったLFE(サブウーファー)も貢献していると思います。
以後、普段はサラウンドセットで聴くことが普通となり、音楽を流している時間が増えました。 それでも、私は基本的にCDなど2chのソースは、L&RステレオとLs&Rsステレオの4.1スピーカーで流してしまいます。これは折角ステレオで最良にと作った人に失礼かと、職業意識が出るからで、いまだに頭のどこかで「試聴」もしているようです。
Macをお使いの方は、同梱ソフトウェアなのでご存知と思いますが、これがなかなか良く出来ていて、誰でも簡単に曲が作れるというソフトなのです。本当に簡単なのかな?と思い、デモ演奏を聴いてみたのですが、なんとちょっとイカしたブルースがあるではないか!思わずギターを持って弾いてみたところ、なんとキーがG#で、なんでこんなキーなのかと・・・とりあえずトランスポーズしてみたところ、違和感なくCに移調できたので、ギターを録音してみることにしました。
画像の青いリージョンがオケのパートで、紫色の部分が私が弾いたギターのリージョンです。 2コーラスのブルースくらい、通し録りしなくてはいけないのですが、2コーラス目からスライドバーを使いたかったので、2パートでの録音となりました。
オケが2コーラスの楽曲として既に出来上がっているので、ギターを入れただけでこのように完成となりました。 オープニングのニュース番組みたいなサウンドロゴも、付属のApple Loopのもので、Mixのとき曲頭にペーストしただけで簡単にできてしまいました。さまざまなジャンルが用意されており、大体曲の長さx20倍ほどの時間で、オンエアレベルの音楽が制作でき、生産性はかなり高いです。ちなみに、この曲は40分ほどで完成しました。
この後、Webを利用したセッションに手軽に使えないかと実験的に、元marianneの「Masaru」氏にBassパートの差し替えをしてもらい、サイトテーマ「mim_official_site_blues」の完成となりました。 とにかく曲のファイル(実はプロジェクト全てが入ったパッケージ)ひとつをwebでやり取りするだけなので曲管理が楽で、専用の自宅サーバを立てる必要もなく、高価なDAWを揃えなくても地球の裏側にいるミュージシャンとも簡単にレコーディングセッションが出来るというわけです。
Downloadはこちらから。
しかしこういうものの著作権は今後どうなるのでしょうかね、まさかアドリブ弾いただけで作曲しましたって言う人もいないと思うし、少し先にはボーカルもソフトウエアで済むようになると思うし、21世紀中に少なくとも録音された音楽に関しては、著作権がどうのこうのということは無くなり、自由に誰でも使ったり聴いたりできていると思いますよ。 絵画と同じで、生演奏のみが正当な音楽でデジタル化されたものなどは、単なるコピー品として価値のないものになっているのかな・・・
いずれにしろコンサートホールでの、PAも使わないクラシックコンサートの演奏・鑑賞が音楽の頂点である事には変わらないでしょうね。
とにかく邪魔でした。場所を取る、線?をたくさん繋げなくてはならないからメンテナンスも面倒など、多重録音を始めた頃は無くてはならない機材でしたが、テープデッキが必要なくなってきた頃から、いつかミキサーレスにしてやろうと思っていました。
それが、ついに夢のミキサーレス環境を確立したのであります。 このサイトで公開している楽曲すべてをNetworkを基本とした、新しいミキサーレスの環境で仕上げました。
とは言っても最近はみなさんほとんどソフト内で、仕上げていると思われますので、そんな大袈裟にとお思いでしょうが、私くらいの世代は足の長いコタツの親玉みたいな調卓(ミキサー)がない制作環境は何となく落ち着かないもので(ほとんどインテリア的に)計画はかなり慎重に練りました。ミキサーレスとは言ってもラックマウントのラインミキサーは残していたのですが、結局使用せず、オーディオインターフェースとオーディオプリアンプの組み合わせで、スムーズに環境移動が出来ました。
結論から言いますと、今回公開している楽曲程度なら、一般的なオーディオインターフェースとオーディオセットがあればOKで、何一つ不便なことはありません。近年では外部のスタジオとのやり取りも、ガイド用にまとめた数トラックをHDD等にCopyして持って行き、録音したパート(ファイル)を戻って貼り付けるだけで、ノートパソコンを持ち込む必要もありませんから。さらにWebに強いスタジオやエンジニア/ミュージシャンとの絡みなら、サーバへのアクセス権を与えておくだけで、シンクロしたプロジェクト進行が世界規模で可能なわけで、プライベートスタジオでセッションを録るのでなければ、ミキサーの出番は無いでしょう。
テープデッキの時代には存在しなかった機材(将来を見据えてプラグインのネイティブ環境への移行テストも兼ねていたので、手のひらに乗るような大きさの)オーディオインターフェースがDI、MIDI、ミキサー、ヘッドフォンモニターとステレオラインアウトまで結局ほとんどの部分を担当し、モニタースピーカーを鳴らす時はCDなどと同様にオーディオプリアンプでコントロールしています。さらにオーディオプリアンプはソースの切り替えやボリュームもリモコン操作可能なので、ほとんどホームシアターのように扱えて非常に便利になりました。
オールソフトでの制作は、とにかく接点不良が起きないのですから、それだけでも精神的に楽な上、どこでも続きを制作できるのが楽でしたね。一部の曲など2年とかかかってますから。
接点不良といえばパッチベイですが・・・これは次の機会に
私のいつも使っている ギターはこれです。80年代に、あるスタジオミュージシャンが使っていて、変なギターだなあと近くに見に行ったのですが、この人が愛用している理由が、またいかにも売れっ子のスタジオマン風で素晴らしく、Lotusに乗っているので助手席にエフェクター類と一緒に置ける大きさだからと言うのです。音楽的な理由はないものかと、音はどうですか?と聞いてみたのですが 、「音は出るに決まってるだろう!」って冷たくあしらわれたので、そうですね、とその場を離れミキサーの人に、ギターの人いつもあのギターなの?って尋ねたら、「そうだね手に入れてからいつもアレみたいよ、ライン録りには良いギターだよ」って言うので、高いんでしょうねって聞いたら、「3、4万くらいじゃないの?」って・・・その瞬間俺も買オ〜と決心したのです。
その後、無事に録音が終わって、私が作曲者と分かって常識的な対応をしてくれたので(アシさんと一緒にギターを見に行っていたので見習いと勘違いしていたみたい)ギターについて詳しく教えていただきました。ドイツ/ホーナー社の製品でスタインバーガー・ギターの正式ライセンスモデルという型でした。基本的に私の使い方もこの時のアドバイスに沿ったものです。
以後、20年以上メインで使っていますので使用感など
始めに短所から
小さくて軽いので立って弾いた場合アーミングと共にギターが動いて都合が悪い アンプで鳴らすと音まで軽く感じる など、ライブでの使用より座って弾くスタジオ向きだと思いますね、ギターと言うよりギターサウンド入力楽器といったところでしょう。
私が長年愛用している理由は
- とにかく邪魔にならない! この画像でストラトと比べてみてください。
- 音的にはジェネシス"Genesis"のマイク・ラザフォード"Mike Rutherford"などが使っていた本物Steinbergerより甘い音で59レスポールに似た音が作りやすい。
- フレットが24あり、ハイポジションプレイが容易(打ち込みと間違われるほど)
- ピッチがやたら正確
- ノイズをあまり拾わない(パワーも結構ある)
- ライン録りに強い(偶然近年のギターシミュレーターにも最適)
- WAHの乗りが良い
- 弦を10年以上替えてないが普通に使えてる
- 作りが綺麗で低価格
などですが、少々の改造も行っています。購入時に楽器屋さんでボリュームのカーブと、小指がかかりやすいように位置をずらしてもらい、トーン回路をロータリースイッチに変更してトーンキャンセルのポジションも作ってもらいました。トーンはほとんどキャンセルで使いますからね。
元のボリュームの穴も、判らないほど綺麗に埋めてもらって、低価格のギターなのにプライドを感じる職人技をつぎ込んで頂いたので、大切に使っています。
ライン録りで使っていて、最近はネイティブ環境のオーディオインターフェースに刺す場合も多いのですが、コンプレッションされたような立ち上がりと、音の減衰感がとても気持ちが良いので、素音で録って後でシミュレートする方法をとっています。 ネイティブ環境だとレイテンシーの問題がついて回りますが、素音での録音はレイテンシー0でモニターできるので、プレイに集中でき精神的に非常に楽です。リバーブまたはディレイをモニターに少々掛けるのですが、こちらは遅れても気になりませんので、ギンギンのディストーション物でも録音時は素音なんですよ。
あたりまえなのですが、エレキギターも弦楽器なのでアンプを通さない生音ですべて決まっていますから・・・ジミヘンの好きな方は分かっていますよね。
このギターを手に入れてからは、録音時のギターの使い分けがはっきりして、アンプを使うときはTelecasterでストラトとこのギターはライン専用みたいになっていて、 レスポールをレコーディングで使う事はありませんでした。
しかし、弦はいつ替えれば良いのでしょうかね。90年代に替えたのを最後にずっとそのまま使えてますから、ステンレスの弦ってこんな物なのでしょうか?
じつは、私は非常に物持ちが良く、ピックも70年代から同じ鼈甲のピックを使っていて(かなり丸くなっていますが)未だにそれを使っています。当時も同じピックをずっと使っていたのでメンバーからよくジミーとからかわれていました。(違った意味なら嬉しいのですがね)
Catalog1の録音では、ストラトは新品の弦でメロを3曲録りましたが、こちらの方はシミュレーターを使わずSSL直差しで、最後まで素音ということもあって、その日の内に全パート録っておきました。
俗に言うリードギターのクリアトーンはやはり新品の弦が基本ですね。
リードギターといえばこの御仁! あるとき寺内タケシ氏がレコーディング途中で「1-2番弦がダメだから替えろ」と言って、ボーヤに張り替えを指示してビックリしたことがありました。 当然弾く前にすべて新品に張り替えてあるのですが、ピックはもとより弦まで専用を作らせているので,違いが分かるのですかね。
仰天したのはその後で、自分で替えると言ってさっさと弦を張り「はい、続き録ります」っと言うんですが、アーム付きのモズライトの弦を1本でも替えたら全体的にチューニングはガタガタになってるはずなので、「チューニングさせますか」と尋ねると、ジミヘンみたいに弦を1本ずつ鳴らして「じゃらーん」とコードを鳴らし「ほらOKだろっ」て言うのですが、ルーム内の人間に絶対音感を供えている人がいるわけもなく、半信半疑に続きをパンチインしたのですが、寸分の狂いもなくピタッと弾き終えて「よし良いだろう」の一声で終了しました。
遙か昔に、私の最初のバンドのBass奏者が絶対音感を持っていて、キーボードが脱退して3人になった時は、Bassを頼りにステージ上で適当にピッチを合わせていたのですが、弦交換時に慎重に音叉で合わせた後でも、Bassとピタッと合うので音叉もいらなく便利だなあと思って感心していました。
しかしギターのピッチがちょっとでも違うとうるさいので、厄介でしたが、寺内氏も絶対音感を持っていたとは、この時まで知りませんでした。(耳ではなく、弦のテンションで分かるという説もあるそうです)
ミキサーレスに伴って、もっと不必要な機材が出ました。
パッチベイの撤去はミキサーより決心がいることでした。理由は簡単で、それまで何機種か使って散々接点不良に悩まされてきたのですが、最後に使っていたパッチベイは、レコーディングスタジオのパッチベイ交換時に一緒に購入した物で、ワイヤリングも全て機材メンテの方に仕上げてもらった自慢の品だったのです。バンタム96ポイントの1Uで最後まで非常に状態も良く、ガリなど皆無でした。
現在のデスクトップミュージックの機材が、一揃い購入出来るくらいの予算をかけていたので、撤去するには忍びなかったのですが、繋げておく物がない以上、30kg以上ありそうなケーブルを置いておくわけにもいかず、関取の断髪式のごとくケーブルを切断して、使命を終えました。
この他に既に撤去していた、MIDIパッチベイとデジタルパッチベイというのもありましたが、こちらの方は使用頻度が少なかったのでさっさと撤去してしまいました。
1Uの本体は20世紀の遺産としてラックに装飾品として残しています。やはりバッチベイが付いてないとインテリア的に決まりませんからね。
重要無形文化財保持者(人間国宝)歌舞伎俳優の「中村又五郎」氏がお亡くなりになりました(2009.2.21)
歌舞伎界と何か関係かとお思いでしょうが、ご本人とは直接の面識は無く、かつ歌舞伎界とは何ら関係のないことですが、70年代に実は、中村又五郎氏の別荘で楽曲を録音させて頂いたことがあるのです。
リビングにドラムセットとアンプをセットして、購入して間もない4chオープンデッキとミキサーなどをセットしてVoとGtr_soloのみダビング形式で10曲近くを7日ほどで録音しました。いくら山奥の別荘地でも音を出したのは昼の間だけで、幸い苦情も来なかったので、ご迷惑は掛けてないと思われますが・・・
とにかく天井が高く、オフマイクでDrumsが非常に気に入った音に録れて満足していたのですが、このプロジェクトとんでもないオチが待っていたのです。
順調に録音が終わって、じゃあミックスは東京に帰ってゆっくりしようと、無事に計画通り終了したのですが・・・
東京に帰ってデッキなどを元に戻しておもむろにミックスを始めようとした時、何と・・・テープの回転が遅いのです。エ〜と思い楽器車で運んだりしたので壊れたのかなと、最初は思ったのですが、電気の周波数が50と60ヘルツの違いで、デッキのモーターのスピードが違ったのです。その別荘地は60ヘルツの地域だったのです。
結局現地で作ったラフミックスだけが聴ける形で、非常に残念な結果に終わってしまいましたが、このトラブルのお陰で、この時の曲は違った意味で良い思い出になっています。
あらためてご冥福をお祈り致します。
DDS.Sweetfish(当サイトでの筆名です)
'60〜'70年代をこよなく愛し、'50年代生まれであることを誇りに思う若き日には、映画、文学、音楽関係への道を模索するが、最終的に医療関係者をめざす事を決定。その経歴を生かし、医師として、マルチメディア・ライターとして、映像、音楽、医療、ヘルス&フィットネスなどの分野で執筆。所有する映像/音楽ディスクは膨大な数に及ぶが、単なるコレクターではおさまらず、ビートルズのレコーディング環境を自ら確認するため、アビー・ロードスタジオまで足をはこぶ、といった行動力も兼ね備える。
コラムの冒頭で触れたように、ビートルズというグループはライヴ・パフォーマンスが“ウリ”の、根っからのライブバンドであった。
その腕前は、メジャー・デビューする前の時期、リヴァプールという田舎町の、けっして良いとは言いがたいような環境の「ライヴ・ハウス」のみならず、“ドサ回り”と言ってもいいような独逸遠征=ハンブルク時代を通して鍛えられていったのである。
しかしながら、まだ中学生のガキだったわたしは当然、当時はそんなことなど知るよしも無かったのだった。 今日のレコーディング・スタイルからは想像しにくい事であるが、’60年代初頭のレコーディングというものは、基本的に“録ったそのまんま”なのである。 要するに、ヴォーカルも演奏も同時に録音され、それを後から修正を加えるような手直しなどは殆ど行われる事が無かったのであった。
言い方を変えれば、それは正に「スタジオ・ライブ」録音だったわけだ。 特に最初期の1st、2ndアルバムなどは2トラックしか無いレコーダーで流し録りをしていただけという関係上、“ステレオ・フォニック”と呼ぶにはだいぶ難のある、ヴォーカルと演奏が左・右に泣き別れの状態となっているだけのものなのである。
もっとも、我々くらいの解散後のフォロー年代ともなると既に、家に“ステレオ”が有ったりしたので、「おぉ、ちゃんと音が分かれてる〜」なんて、単純に感動したりしたものだったが….。
とにかく、家庭用のステレオ再生装置などはまったく一般的なものでは無く、殆どの再生環境はポータブルな型の「レコード・プレーヤー」であり、内蔵された単1(フルレンジ?)のスピーカーから発せられる“モノ・フォニック” という時代にデビュー・アルバムは登場したのである。
従って、そんなに手のこんだ事(録音)などをする必要は無かったとも言える? しかし、それだからこそビートルズの「ライブバンド」としての本領が発揮された“一発録り“の迫力がいやが上にも伝わって来ようものでありこそすれ、それを知った上でこれらを聴いたのであるなら、一頃物知り顔で語る連中が言ってたところの「ビートルズは演奏がヘタだった」なんてバカげた事、あり得ないだろう。
ムシロその逆でしょうって? 当時はアルバムの為の“レコーディング・セッション”たって、概ね1日をかけて通しで収録予定曲をこなしていくのが慣習で、それぞれの曲毎に数回は試しても、頭から終わりまできっちりとトチらずに録れたらそれで決まり、といったところなのだ。
従って、時間の関係や、声のコンディションの関係から「本番完全1発録り」をキメるというような場面さえも出てくる。何とも、スサマジイものだったようだ。 デビュー当時にはそのようにして、「ライブバンドの面目躍如」たる、気合いの入った入魂のパフォーマンスをモノにしてきた連中が、“その当時のやり方” に戻り、これまでの年月培い積み重ねてきたことにより、大幅に進歩を遂げたスタジオ録音技術に負う所の大きい、所謂「レコーディング・マジック」を敢えて排除して挑もうとしたアルバム
それが『Get Back』だったのだ。
だが、そのコンセプトを遂行するのには、色々な問題があったのである。
それこそ、デビュー当時ならいざ知らず、’66年の『リヴォルバー』辺りからは 「レコーディング・グループ」と化してしまい、同年をもって観客の前に立つ「ライヴ」活動を封印してしまったこと。その結果として、スタジオでの録音技術に頼り切った活動を展開し続けてきた彼らにとって、嘗てのように「メンバー4人が同じスタジオに全員顔を揃えて、スタジオ・ライブ形式にレコーディングを行う」のは、もはや簡単な事とは言えなかったようである。
そこで、嘗ての感触を取り戻しつつ、アルバム収録候補曲をリハーサルし、その選別を行っていく事、それと同時進行にその模様を映像に収めることで「アルバム発売に合わせ、そのプロモーションも兼ねて公開するドキュメンタリー」の収録を行うという目的を持ったプロジェクトとして考えられたのが、後に“ゲットバック・セッション”と呼ばれるようになる一連のセッションだったのである。
そしてその「アルバム発売に合わせ公開される予定だったドキュメンタリー」は、タイミング的には’70年4月の解散の後、ビートルズ最後の劇場公開映画となってしまった『レット・イット・ビー』というタイトルの作品として、同年の8月25日には本邦でも公開され、日の目を見ることと成ったのであるが、以降、主にこの映画を中心とした「ビートルズ映画大会」といった趣向のイベント的上映が、主に“2番館” “3番館”などと呼ばれた小規模な劇場に於いて“ビートルズ・フェスティバル”と銘打って3本立て上映としてプログラムされるようになっていったのだった。
当然ながら、上映作品というのは『ビートルズがやって来る / ヤア!ヤア!ヤア!』、『4人はアイドル / ヘルプ!』と上記の『レット・イット・ビー』 の3本作品であり、希に『レット・イット・ビー』と入れ替わって『イエロー・サブマリン』が組まれる場合が有ったりした。 (因みに、記憶に有るのは都内の「テアトル銀座」「丸の内東宝」「有楽シネマ」「渋谷文化」とか…。「文化」は初期の2本だけでの上映だったか。)
この’70年代という、洋楽の映像をTVで見られることなどは皆無に等しく、ビデオ・レコーダーも何も無い時代に、「動いている(喋ってる)ビートルズ」や「唄っているビートルズ」ましてや「ライヴ・パフォーマンス」を観ることなど不可能といっても良かったろう。
だから、唯一それを叶えることが出来たのが、上記の“ビートルズ・フェスティバル”だったのであり、それこそ際限ないくらいに観に行ったものだった。
蛇足ながら、特に何故だか『イエロー・サブマリン』が組まれる事が少なかったためか、時々その組み合わせの上映が有ると、狭い劇場は朝から満杯状態と成り、“立ち見”もあり得たこの当時には、目一杯3本を見終わらなければ誰も出て行くワケが無いのだから、最低4時間半程は場内の動きは無いのだ。
要するに、1本目に座り損ねたら、3本全てを見終わるまでの間、殆ど半日立ったままという事になる上、更に後から後から客が増えてくることすら有れ、一向に減ることは無いのだった….。
話を映画『レット・イット・ビー』に戻して、自分がこの映画を始めて観に行った時には、予算の都合上、実はまだアルバム"Let it be"は所有していなかったのであった。
要するに1部の曲を除いてまだ未聴の曲も数曲有ったわけである。 しかし、映画を見たからには俄然、購買意欲が増し、触手は動く事になるのではあるが、実際にそのアルバムを手に取って見てみると収録曲も少なく、映画のクオリティと比べると可成り見劣りする気がした。
そうして考えあぐねている時、例の"頼れる味方"を紐解いてみると、そこにグッド・アイディアと思える答えが見つかったのである。 それはdotCinelogue : Let it beと呼ばれるタイトルの、なんと映画のサウンドトラックを丸々収録して有るというまさに理想的に思える、なんとも好都合なアルバムだったのである。 又しても資金を握りしめ、早速いつもの西新宿界隈へと向かうこととなったのは言うまでもない……
・・・迷路は続く
「未発表曲」をお目当てにした前回の選択は、取り敢えず興味を満足させるには(当時としては)十分なものだった。
この類の知識については殆ど無知に近い状態だった青少年が、スカを掴まされることなく、ここまで順当に良い結果を出して来られたのも、やはり「ビートルズ事典」という予備知識有ってのことである。
今回も「ビートルズ事典」から選定のヒントを得るべく眺めていると、既に入手した「(コンサートの)ライブ盤」、「正規盤に未収録曲」など以外では、デビュー前の「オーディション録音」とか、「ゲットバック・セッション」、映画の「サウンド・トラック録音」などがその対象になりそうな感じだ。
しかし、デビュー前の「オーディション録音」などとされているものの大半は、その出所どころか、収録された時期や場所等といったような、信憑性のあるデータが殆ど見あたらず、かなりウサンクサイのである。
そうなるとあとは、まだ全く手つかずの「ゲットバック・セッション」物というのが気になる。そもそも「ゲットバック・セッション」って一体何なんだろうか?
そういえば、例の"頼れる味方"から得られた、大変に心惹かれる情報のひとつに、「幻のアルバムGet Back」という、非常に興味深い記述があった。「ゲットバック・セッション」というからには、その件と関係があるようだ。 「"幻のアルバム"っ!!」、なんと甘美なその響きであろうか!?
実際、ビートルズ神話のなかにはそのような呼ばれ方をするタイトルが他にもある。そのなかにはマスター・テープ盗難〜消去事故で消えたと言われる「Hot as the Sun」などもあるようで、なんだかミステリーじみた逸話なのである。 (比較的最近、盗難で長年行方不明となっていた丁度この当時の録音テープが、窃盗グループの拠点だかから発見されたという記事が新聞に載った。これが「Hot as the Sun」神話の元ネタとなったのではと思わせる事件として、興味深い物がある。)
とにかく、"実在する「幻のアルバム」"として、最も有名なのが"Get Back"ということは間違いないようだ。その内容について、「ビートルズ事典」では(実際に聴いたとしか思えない位)詳細に解説がなされていた。
まず、ビートルズの現役時代の最後を飾った、ラスト・アルバムとして有名な"Let It Be"は、本来"Get Back"というタイトルで呼ばれていたものであったというのである。その収録曲についても両者では微妙に異なっており、収録順はもとより、収録曲目自体が違っていたりして、興味をかき立てるものがあった。
これについては、当初はこれまで通り"ジョージ・マーチン"をプロデューサーと冠して録音されていた、アルバム"Get Back"として日の目を見るであろうとされていた収録曲の出来映えについて、当のビートルズ自身が不満を持ったことに端を発していたようだ。紆余曲折有り、その間に次のアルバム「Abbey Road」の製作〜完成を挟んだ後、彼らは最終的に、録音済みの曲を丸投げする形で、当時「ウォール・オブ・サウンド」で有名だったアメリカ人プロデューサーの"フィル・スペクター"に再編曲や、アルバムの再プロデュースを任せてしまい、そして完成されたものが"Let It Be"という訳であった。
既にメンバー間に不協和音が生じつつあったものが、この件によってジョン(+他の2人)とポールの対立が決定的なものとなり、解散への引き金を引く事に繋がったと言われる、謂わば「因縁のアルバム」とも言えるこの2枚。
これを知ってしまったファンであるなら、誰しも「これは是非聴いて(比べて)みたいっ!!」と考えるのが心情だろうし、当然のことながら自身もそう考えた。
いや、寧ろ「幻のアルバム"Get Back"」知っているかどうかでビートルズ・ファンとしての度合いは試され、そのアルバム"Get Back"を実際に聴いたことがあるかどうかについてで、他の誰よりも「ファンである」というレベルの高さを証明出来るような気がした。
しかし当然のことながら、この「幻のアルバムGet Back」の音源そのまんまを入手して聴くことが出来るなどという、アマ〜イ話があろう筈がなかった。
ならば取り敢えず、「スタジオ・ライブ」状態で長時間にわたって続けられたと言われるこのアルバム"Get Back"製作過程の、そのリハーサルとも言える音源を収録したものを聴くことから始めていくこととすべきだろう。
そしてこの時こそ、以後長きに渡って続いていくことになるであろうこの迷宮に、足を踏み入れたその時であったと言えよう。
・・・迷路は続く
それは通常の国内盤レコードと比べると、やけに堅くて重い感じがする盤質だった。
日本人というのは、世界中でも製品の品質や管理状態などには配慮の細かいとわれる民族であるが、対照的に、アメリカ人というのは割と大ざっぱで、テキトーだったりする。LPレコードひとつを取ってみても、中身は見えないようにしてあるくせに、盤面には多少のキズがあったりしても当たり前みたい。
日本の場合には、買ったときの新品の盤にキズがついていることなど考えられず、当然、不良品扱いで返品となる。また、“インナー・スリーブ”と呼ばれる中袋にしたって、紙袋の内側にしっかりともう一枚、薄いビニールの袋が添付されていて、紙袋が直にレコード盤に擦れてキズがつかないように配慮されている。
アメリカ盤などは、安っぽい紙袋に直にレコード盤が押し込まれていて、擦れてキズがつくなど当たり前だし、紙のカスのせいだか、何だか初めからざらついていてホコリっぽいように思える。
更には、レコードの原材料である“塩化ビニール”の材質がまた酷いのである。最悪の場合、売れ残った廃盤レコードを溶かし込んで、半分くらい混ぜてあるみたいだ。
質が悪いので、只でさえレコード針がノイズを拾いやすく、「ジリジリ、パチパチ」と雑音が出るが、更にひどいと、盤に凹みや凸があったり、盤の中に異物が混入していたりと、針がジャンプしたりしかねない盤も実際に有った。余りに酷いキズなら、「ボン、ボン…」と周回ごとに大きなノイズが出るし、もっと酷いと針飛びである。
その他にも、自分が買ったものの中に色々あった。レコード盤の中心部が片側に出っ張っるように全体が反っていて「お皿のような形になっている」もの、一見すると、レーベル部分がズレているように見えるが、実は「中央のスピンドル用の穴自体がズレてる」ものなど。そんなものが、平気で流通しているのだから、信じがたいことだ。そして、これらの大半は、“正規盤のアメリカ盤”についてのことである。
では、それが“海賊盤”だったら、一体どうなってしまうのか?あまりにも盤質が悪いと、もはや「元々の録音自体の音が悪い」のか、「粗悪な盤質のため」なのか、“音が悪い原因”さえ分からなくなってしまいかねないのであった。 従って、“買う人は、全てを覚悟の上”でのことなのだ。 だからこそ、プレーヤーのターンテーブルに乗せ、盤面に針を落としてみる時こそ「緊張の一瞬」だ。「SOME OTHER GUY」を初めて聴いてみて、そこから出てきた音はやはり導入部分の「チリチリ、パチパチ」だった。しかし、それに続いて聞こえてきたのは、紛れもないビートルズの「未発表曲」だった!
アルバム・タイトル曲の“サム・アザー・ガイ”というのは、公式録音曲の記録には無い曲で、その出所は「キャバーン・クラブ時代の同曲の撮影フィルムを見つけ出され、それがTVでオンエアーされたことがある」とのような記述があった。従って、音質もそれなりではあったが「聴けないほどヒドイ」程でもなかった。おそらくきっと“海賊盤”のなかでは、この程度の録音状態なら「良い方」に入るという、その「基準」が何となく分かったような気がした。
いつもの“本”にて全曲の解説をざっと眺めてみると、このアルバムの収録曲の大半は、こうしたフィルムや出演時の、「TV放送オンエアー音源」で占られていて、そうした曲は殆ど“既成曲”と同じタイトルか、そのアレンジ曲であると思われたが、おそらく当時「日本人には見ることが出来なかった」そうしたTV番組の音声というものは、それはそれで興味深いものだった。 しかし、このアルバムの中には表題曲もさることながら、更にとても興味深い、お目当てにしていた曲が2つもあったのだ。 その一つは“What’s The News Mary Jane”という、まさに完全な未発表曲、もうひとつはその名も知られた“Across The Universe”であった。 まず、この「〜メリー・ジェーン」と呼ばれる曲は、なぜ未発表になったのか知りたかった。
それにはとにかく、曲を聴いたことが無いのでは話にも何もならない。ビートルズ好きの仲間の間でも「ああ、あの曲なら聴いたことがあるよ….」とか、言ってみたかったし・・・ で、この曲であるが、どうやら「ホワイト・アルバム」の頃に録音されたがそこから洩れた曲ということだった。しかし、タイトルの“Mary Jane”とは一体なんぞや? 女性の人の名前なんだろうか? と、普通(中学生辺り)なら思うところであるが、この曲はバラードなんかではなく、聞いてビックリのサイケデリック調の奇妙な音も満載の変わりダネ。
しかし、ボーカル(?)は明らかに“ジョンとヨーコ”っぽく、雰囲気も丁度「ホワイト・アルバム」録音時期と言われればそんな感じである。逆に「ホワイト・アルバム」ということで、お約束事として“レノン&マッカートニー”となっているが、他のメンバーがこの曲に参加しているのかは疑わしい気がした。少なくとも、全員ではなさそう。 とにかく変わっていて、面白い曲だと思ったが、やっぱり最初に聴いたときには「なんだこりゃぁ….」って驚いたように記憶している。
「マジカル・ミステリー・ツアー」関連の曲もけっこう“怪しい”ノリをしていたが、こっちはもっと怪しかった。そこで、“Mary Jane”とは一体なんぞや?、であるが、当時気になって調べてみて、何かで読んだところでは、「“メリー・ジェーン(Mary Jane)”とは、英語のスラング(隠語・俗語)で、マリファナを意味している」とのことだったのだ。それで“納得”である。
それからもう一つのお目当ての“Across The Universe”であるが、言わずと知れたレノンの代表曲で、アルバム「Let it be」や、後のベスト盤の後期「1967~1970」にも収められている。
ところが、実はそちらの方が後のバージョンで、アルバム「Let it be」への“再収録”が決まった時点で、このアルバムのみ参加したプロデューサーの“フィル・スペクター”により、バックのトラックの大幅な手直しと、更に「スピードの変更(スローに)」処理まで成されていて、まるで別物のような仕上がりだという。
だが、その顕著な違いとして一番有名だったのは、曲のイントロ前と終了直前に収録されていた「小鳥のさえずり〜飛び去る音」のエフェクトが、“原曲には入っていた”ことであった。 個人的に当時から、この曲自体にかなりの愛着を感じていたお気に入りの曲だったので、その“オリジナル・バージョン”があることを知った以上、絶対に聴いておきたいと考えていたのである。
ところが、この“オリジナル・バージョン”というのが、厄介なことにビートルズの「オリジナル・アルバム(LP)」「同・シングル」、「EP(コンパクト)」のどれにも入っていない曲だったので、 恐らく、日本国内でこのバージョンを聴くことは、当時はかなり困難だったと思う。
何故ならこの曲だけは市販のレコードではなく、チャリティー用に企画されたdot「Our World」というタイトルのオムニバス・アルバムにのみ提供されて収録されたため、このチャリティー自体がどの程度の規模で企画されたものであって、また当時の流通形態から考えて、これが日本国内に入ってきていたのかさえ不明だったからである。
だから、誰もこれを知らなかったし、尚更、「ああ、あの曲なら聴いたことがあるよ…」とか、言えるような立場になりたかった・・・この曲のファンとしては。
そして、その時はやってきたのだ。事前の情報通り、曲はイントロ前の「小鳥のさえずり〜飛び去る音」のエフェクトから始まった。そして、後のバージョンよりもテンポも早く、そのためにジョンの声も若干高いように聞こえるので、印象は大分違う。そしてやはり曲の終盤にもエフェクトが入っていた。当時、こちらのバージョンは世間的に、殆ど全く知られ(聴かれ)ていなかったことになるわけだが、こちらの方が紛れもない、ビートルズ(The Beatles)いつもの“ジョージ・マーティン、プロデュース・バージョン”ということになるわけだ。
“原曲”はやはり、「印象的」で、「感動的」だった。聴くまでの苦労もあったので、尚更そう思えたということもあるだろう。(因みに両曲とも、現在はCDに収録あり) 音質については、この曲は“正規盤収録曲”のコピーであり、何回も繰り返しコピーされた後のような酷さではなく、良好なものだった。
但し、“海賊盤”である以上、表紙に“STEREO”と書かれていようが、“Quadraphonic(4チャンネル)”と書かれていようが、その99%近くは“MONO”である。(これは、アナログ時代のこと)
今回は、ジャケットやレーベルなど、不安要素も少なくはなかったが、これらの代表的な未発表曲を聴くことができた感動はそうしたものを差し引いても未だ余りあるような結果だったと、麻薬のような効き目を思わせる感覚を、いま覚え始めている自分を感じるのであった….。
・・・迷路は続く
「未発表曲集」を次なる目標に定めたので、まずは同じ傾向のアルバムを幾つか選び出し、その収録内容をチェックしてみる必要がある。というのもこの当時は殆ど情報源がなく、特にちゃんと系統立てて解説しているようなものなど皆無だったのだ。従って、アルバムの収録曲を、例によって我がバイブルともいうべき「ビートルズ事典」でチェックし、“正規盤に収録されていない曲のタイトル”を調べあげ、選び出してみることが重要だとおもった。
まずは、そもそも「何というタイトルの未発表曲が存在」して、概ね「どの程度の数が海賊盤に収録されて出回っているのか」を知っておく必要がある。 そうすれば、何種類かのアルバムに同一の曲が収録されていたりした場合に、1枚のアルバムにつきより多くの「未発表曲」を収録している“お買い得盤”を手に入れられると思ったからだ。しかし、その発想は誤っていた。確かに通常流通しているメジャーな会社が出している“ベスト盤”などだったら、話は別だっただろうが…..。
“海賊盤”製造業者は商売=「ファン心理」を心得ていて、アルバム・タイトルにずばり「未発表曲」のタイトルを冠するものも少なく無かった。しかし、そうしたものの中にも“胡散臭い”ものがあって、つまりその「未発表曲」自体の出所や信憑性が極めて疑わしく、怪しいのである。
何と!最悪の場合、「本人たちの演奏ではない」もの、要するに「他人の演奏曲」を“ビートルズの未発表曲!”と称して、堂々と収録しているものまで有るようなのだ!!それでもまさか、本人たちにまったく似てもにつかないような演奏や歌であれば誰だって気付くだろう。しかしそこは巧みな海賊盤業者、声や歌い回しが何となくレノンに似ていたり、曲調だって「ビートルズなら、あり得るかもしれない….」と思えるような曲を探し出してきて、でっち上げるのである。
その際にも、“メジャーな演奏者の世に知られた曲”ではすぐにバレてしまうので、世間の殆どの人が関心を持たないようなところの中から探し出してくるのだから、まさに筋金入りだ。(そうしたものの中には、割と最近になるまで気付かれなかったものや、未だに真偽不明のものまで存在する始末なのである。)
“海賊盤”にまで手を出すような、「コアなマニア」まで騙されるのだから、一般の人や、並のファンだったら信じ込んでしまいかねないレベルの巧みさだ。
そんなアブナイ橋を渡って、限られた予算をドブに捨てるような訳にはいかない。そこで今回は、収録内容の裏付けの乏しいそのような類のものは排除して、「未発表曲」のなかでも裏付けがあって確認済みの曲や、正規盤では聴けない演奏曲、或いは聴けないバージョンを中心に編集されていてバラエティにとんだ内容であれば、収録内容の一貫性などはあまり重要視しないで選ぶことにした。
そのタイトルを 「SOME OTHER GUY」といい、そのアルバムは前回と同様に、怪しげなお兄さんたちがやっているお店を何軒か回ることで見つけることが出来たのである。
しかし、手に入れたそのアルバムのジャケットやレーベルの、なんと貧弱なことか。まずはジャケットの方であるが、この当時の“海賊盤”にはありがちなまっ白けのジャケットに、表紙にあたる、バンド名とタイトルと不鮮明な写真と曲目が記載された、“スリック”と呼ばれる単色刷の紙が貼り付けられている、といったものだった。この事は購入時には納得済みなワケだから仕方がないが、問題はこの次である。この当時の“新品”の「輸入盤」LPレコードというものは、日本製造の「国内盤」とは違って、“シールド”と呼ばれる薄い透明なビニール・フィルムで封印された状態で売られているのが一般的であって、要するに“購入者が封印を開ける”時まで中を見ることは不可能なのである。
この事は、“初物”ということで、“処女性”を重んじるのと通じるところが…。 で、更にこの内の、製造元で施されたままの状態の、新品時の“封印”のことを特に“ファクトリー・シールド”と呼んで、後からショップ等で施された“シールド”とは別扱いしていた。これについては、そうした後付けも専用の機械で可能だったためなのである。
(後付け = 再生!? って、なんだかねぇ….) そして、この“シールド”については“海賊盤”であっても同様であり、中には上記の“スリック”が貼り付けられておらず、白ジャケットと“シールド”の間に入れてあるだけ、ということもしばしばあった。
ということで、意を決してジャケットの開口部分に沿ってツメを当てて往復させ、封印を解くことにするのである。因みにこれは、当時のマニアにとっては、半ば儀式のような行為だった。そこから中に手を差し込み、味気ない真っ白な紙製の中袋ごと盤を引っ張り出してみる。そしてそのレーベルはというと、何と、真っ白けの“紙”ではないか! 色が白地という意味ではなく、真っ白けでそこには何んにも書かれていなかったのである。 ウラもオモテも判らないだけではなく、本当にジャケット表記通りの収録内容なのかさえ疑わしく思え、これにはさすがに不安に陥った。
だが、そうしていても仕方がない。ウラだかオモテだか判らないが、とにかくプレーヤーのターンテーブルに乗っけて、盤面に針を落としてみることにした。
すると、そこから出てきた音は….
・・・迷路は続く
とにかく、どうも初っぱなから良いものを当てすぎてしまったようであった。
幸運にもというか、偶然にもというか、はじめっからお宝を当てちゃうと、その後が心配になってくるものである。 どう考えたって“ビギナーズ・ラック”としか思えないから、逆に次は慎重になってしまうワケだ。そんなに、幸運が続くとは、どうしたって思えない。 なにしろ少ない情報の中から学んだ、「“海賊盤”とはその大半がデタラメ千万で、タイトル表記もウソだらけ、音質は最低、盤質も最低のノイズだらけの、クズもイッパイ」ということだけは確かな事実だからである。そこで、大枚をはたいて次の一枚を買う前に、“海賊盤”についてのお温習いと、作戦(購入計画)を立てる必要がありそうだ。
とりあえず、無計画に購入した最初の盤「five nights in a Judo arena」はジャンル的には“ライブ(実況録音)盤”である。当然ながら、レーベル(製作会社)は聞いたこともない「De Weintraub Records」とかいう名前だった。「The~」じゃないから、米・英の会社ではなく、ドイツかなにかの会社なんだろうか? そういえば、友人が所有している「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」は別の会社で、「Lemon Records」なる会社だったっけ。 と言ったってしかし、レコード盤中央の、所謂“レーベル(ラベル)”部分のデザイン(?)はただのレモン・イエロー色地一色。そこに一応、会社名と曲目、Side-1,2が単色で印刷されているだけ、という味気ないものだった。そこいくと、自分が手に入れた「five nights〜」のレーベル・デザインの方が数倍カッコ良く(?)、少しメタリックな感じの黒地に、シルバーの文字で会社名と曲目、Side-1,2が印刷されているのは勿論のこと、何よりもジャケットの方と同じデザインの、会社の“ロゴマーク”までしっかりと印刷されており、メジャーな会社の製品かと見まがうような出来映えだったのである。
それでもその当時、「Back in 1964〜」のその出来映えは、その収録内容、デザインともに“並の海賊盤のレベル”よりも遙かに高い水準のようで、ましてや、「five nights〜」の方の出来映えこそが、逆に“並の海賊盤のレベル”を遙かに超越した、「まれ」なものだったのである。 こうしたことから考えるに、これ以上“ライブ盤”を買うことは失望を招くばかりであり、(余程、金銭的に余裕が無い限り)無意味なように思えた。少なくとも、当面は止めておいた方が無難だろう。
では、他にはどのような内容のものがあるのか? その収録内容の「傾向」で選別をして考えた方が良さそうである。 例の「ビートルズ事典」から考察してみると、どうやら“ビートルズの海賊盤”に限っては「(コンサートの)ライブ盤」以外に、正規盤に未収録曲の「アウトテイク」、デビュー前の録音とされる「実況録音」や「オーディション録音」、ラジオ、TV出演時の「オンエアー録音」、映画や、何らかのフィルムからの「サウンド・トラック録音」、テスト・プレスや、マスコミ配布用にプレスされ、販売はされていない「アセテート盤(からのコピー)」と、逆に正規発売されている音源を寄せ集めて再構成した「コピー盤」、ファンクラブで配布された「クリスマス・レコード(のコピー)」、そしてそれらとは別に「ゲットバック・セッションもの」というのがあるようだ。
調べてはみたものの、こんなに沢山あってはいったい何処から手を付けていったらよいものやら、反って悩んでしまう始末である。金銭的余裕があるのなら、まさに端からみんな買っていきたい心境であるが、中学生には到底ムリな相談だ。正規盤のレコードだって買いたいし、最終的には正規発売されている録音曲は1曲も漏らさず、すべて揃えるのが夢なのである。そして更には、この頃は「解散後のビートルズのソロ活動全盛時代」でもあり、(グループとしての)ビートルズについては“後追い世代”に近いポジションではあるが、こっちのほうはまさに“リアルタイム”なんだから、新しい「曲」は真っ先に聴きたい気持ちがある。それでも、ソロ4人分なんかはとても無理だ。ビートルズ以外にだって、映画とか、漫画とか、他にも…、と中〜高学生頃の欲求の向く先は数多く、しかしその財政はあまりにも貧弱で、やり繰りはかなりキビシイ。 まさに一銭たりともムダには出来ない心境であった。
そうした揺れ動く気持ちの中で熟考の結果、「とにかく、皆が聴いたこと無いような曲を聴きたい」との思いを優先し、正規盤に未収録曲の「アウトテイク」をなるたけ多く収録したような盤を候補とすることとした。 ただ、ひとくちに「アウトテイク」といっても種類があるのだ。目指すは“正規盤に未収録”であっても、「既発表曲の別録音バージョン」の方ではなく、まったく聴いたことが無い、完全な「未発表の曲」の方である。 要するに、新作として録音をされてはいたものの、何らかの理由で「正式に発表されることなくボツになった」ような、世間に公表されずに消えた“埋もれた作品”のことだ。 だが、そこには“海賊盤業者が仕掛けた恐ろしい罠”が待っているのである。
・・・迷路は続く
ところで今更ながら、“海賊盤”という呼び名についてであるが、それは日本に於ける俗称であって、英語では元々“Bootleg”と呼ばれていてアーティストは勿論、著作権者の許可無く、無断で(密かに)製造されたモノの総称でもある。従って、印税は著作権者にはビタの1文も支払われてはいないのだ。 そのレコードバージョンについて、本邦では通常“海賊盤”と呼び、それに対して便宜上、公式なものは“正規版”などと呼び区別をつけている。その他にも、悪い(違法な)印象をボカす目的か“プライベート盤”とか“貴重盤”とか、或いは曖昧に“限定盤”“プロモ盤”などとも呼ばれて合法盤との区別をしてきた経緯があるが、近年では(特にCD時代に入ると)単純に「ブート」などと呼ぶのが一般的であろう。
参考までに、“Bootleg”とはそもそも、アメリカに於いて「禁酒法時代」と呼ばれた頃などに、盛んに闇で取引されていた“密造酒”を指す言葉から来ており、それは「ブーツのレッグの部分に密造酒を隠して運んだ」ことが語源となっていて、そこから派生したものであると言われている。
そのような違法性ありありな品を、いったい何処から入手するというのであろうか??
‘70年代当時、輸入盤レコードは一般の消費者からは縁遠いものだった。 当然のことながら、まだアメリカ系の外資の“Tower Record”も、イギリス系の外資の“His Masters Voice (HMV)”も存在しない頃、輸入盤はもっぱら(関東では)都内に点在するマニア向けの小規模な専門店で取り扱われていた。そうした情報を例の同級生から得て、それらの店を目指したのであった。だがその多くは、ロックマニアたちの溜まり場のような雰囲気のところで、一般人や女子供には入りづらい雰囲気を漂わせた場所だった。 “店員さん”も「取り分け優しいそうな方たち」とは思えなかったので、中学生のガキは当初、ちょっと怖じけた。
(店主は)いかにもって感じのロン毛の兄ちゃんたちだったりで、中には趣味が高じて(小遣い稼ぎに)マニアが自分たちで始めちゃったんじゃないかというようなお店もあったように思う。
そんなマニア向けの輸入盤専門のお店では、有名アーティストはそれぞれのコーナーごとに分けてあり、そうしたアーティストの“正規輸入盤”とともにその中に紛れ込ませて、それらは売られていたのであった。
そしてそこには、予め覚え込むべく「ビートルズ事典」で繰り返し何度も読み返し、頭にインプットしておいたジャケットの数枚がたしかに並んでいたのである。
でも、例の 「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」のジャケットはそこには見あたらず、逆に見たことがない物も中には数枚混ざっていた。いずれにせよ、その種類というのはそれほどもの凄い数では無かったのではあるが。 同様の店を数軒回ってみて、ある“見慣れない”盤を初めて購入する記念すべき盤に決めた。
そのタイトルを 「five nights in a Judo arena」といった。
自分の意志とは無関係に、強引にかつ一方的で受け身だった“初体験”が「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」であったなら、「five nights in a Judo arena」こそが自らの意志で選んだ、正真正銘の“初体験”の相手とでも言うべきか? 何の予備知識も無かったその相手になぜ決めたかって、それはそれがあまりにも“美人”に見えたから選んだにほかならない。 要するにそれは、裏・表フルカラー写真印刷の、“正規盤”と見紛う程のデザインのジャケットを持っていたのだった。 そのカンは予想通り、見事に当たったのである。副題に「THE BEATLES ON STAGE IN JAPAN」とある通り、その中身は当初より切望していた‘66年6月30日の日本武道館公演のものだったのだ! そしてそれは「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」に負けない音の良さであるのみならず、ビートルズの“海賊盤”の歴史上、最初の両面カラー・ジャッケットが使用されたと言われている、後々まで最も有名な盤とされる1枚となるのであった。“初体験”のお相手えらびに間違いはなく、“お宝”は物の見事に「初回」に引き当てられたのであった。 ・・・迷路は続く
では、公式盤には無い「ライブ盤」などといった“海賊盤”が、なぜ存在するのか? “海賊盤”とはいかなるもので、いったい何処から湧いて出てくるモノなのか?? それを単純に説明するとすれば、「マニアを狙って金儲けのために作られた密造品」と言いあらわすのが適切であろう。
今風に言うと“コアなマニア”は貪欲で、「公式盤を聴き尽くしてそれでもなお、飽き足らない」、「他人が聞いたことがないようなモノが聴いてみたい」、「未発表曲が聴きたい」、「別バージョンが聴きたい」、「リハーサルでも何でも聞いてみたい」、「ライブ盤が欲しい」、「ボツになったアルバムを手に入れたい」などなど。そうしたマニアの欲求を満たすべく、あらゆるものがそのネタとして利用され、提供されて益々エスカレートしていくのである。 そして、運良く(多くのゴミの中から)“お宝”を手にすることが出来たマニアだけが、それを聴いた興奮と感動で打ち震え、「オレだけがこれを聴くことが出来たのでは…」(そんな事は無いだろうが)とばかりに、それを手に入れることが出来た幸運に酔いしれるのであった。
しかしまあ、そこまではいかないとしても‘70年代当時、特に「実況録音盤」と呼ばれるLive録音については、現在とは存在意義がかなり異なっていたと思う。‘80年代に台頭した“プロモーション・ビデオ”とオーディオ・ヴィジュアル機器、‘90年代に入ってから普及した家庭用PCと、その後一気に加速していくインターネット網と進化し続ける通信形式。でも、‘60〜70年代にはそれらは存在しておらず、それどころか携帯電話はおろか、留守番電話機や家庭用ファクシミリも無く、ビデオデッキが無いどころかカラーTVだって(当然MONOである)まだ1部の家庭に限られていたりで、衛星放送でリアルタイムに世界中の情報が伝わってくるなんて夢のまた夢、みたいな時代である。 更に言うなら、為替だってまだ変動相場制が採用されておらず、1ドル=¥360の固定である。海外旅行なんて行けない。個人輸入なんて無理な相談だし、手に入るのは一般的に国内に流通している物のみなのである。まして、中学生のガキじゃねぇ…。
従って、「市販のレコード以外は、アーティストとの接点となるべき“媒体”が殆ど無い」ということなのである。特に洋楽といえばラジオの放送、それもFMは当時“NHK”と“東京”の2局しかなかったのでその多くはAM放送(当然MONOである)によるもので、更にTVについては殆どソースが無いため縁が薄い、といった具合なのだ。 従って、コンサートを見ることが出来た限られた人以外は、その対象がレコードのみとなってしまう、ということである。歌っているアーティストどころか、インタビューなどでしゃべったりとか動いた状態のアーティストの映像を見ることすら殆ど叶わない。特に‘70年代前半頃までは。 だからせめて、“生々しい「実況録音盤」を”という図式になるのである。
で、とにかく、公式盤もあの時代は何でもかんでもやたらと(日本独自企画の)「実況録音盤」が多いのである。イージー・リストゥニング楽団、スタンダード・ポップスの外タレなどの来日記念実況録音盤、歌謡曲、演歌もの、つまらんアイドル歌手もの(失礼!)、ヘンテコな企画物、その他ナンでもござれである。(興味がある人はヤフオクなんかチェックしてみては?) さらには、その当時存在していた4ch方式盤なら、なお臨場感抜群だったのであーる。(4ch専用の再生装置を所有していれば、だが…)
蛇足ながら、カーペンターズ(Carpenters)の来日時の録音なども、当時はあんまりLive盤の必要性があるようには思えなんだが、カレンが拒食症で予想外に早々と逝ってしまったので、残した録音が限られていることを考えると今となっては、ある意味貴重な録音とも言える結果となったか。 要するに、当時にしてみれば「コンサートの疑似体験」的だったと言えよう。
そして、何と!あの「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」の元音源こそは、そうした公式録音から盗み出されたものなのであった。実はアメリカにおけるビートルズのレコードの発売元であったCapitolの要請により、当時の彼らの全てのプロデュースを手がけていたジョージ・マーチンがイギリスから招かれ、‘64年と‘65年の2度にわたり公演の録音が行われたのである。だがその双方とも最終的には、録音内容に難色が示されたことにより、発売には至らず、オクラ入りってことになったのである。 しかし、何者かによりそのうちの‘64年版の方がCapitolから、そこから (MONOで)コピーされた状態で持ち出され、その音源を元にしたものがヤミ市場 に出回ることとなったのであった。
・・・迷路は続く
その頃(1970年代中盤)ビートルズの公式発表された(国内盤)レコードだって、まだ その全てを手に入れていたわけではなかったが、「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」を聴いて未体験ゾーンに足を踏み入れてしまったために、一気にその禁断の魅力に取り憑かれてしまったのであった。
特に、その初体験の相手が「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」だったことがマズかったのである。 “海賊盤”のくせに、公式盤と錯覚するような、あり得ないような音の良さだったのだ。(後に知ることとなるが、それにはワケが有ったのである。)
俄然興味が沸いて、是非自分も負けじと“お宝”を手に入れてみたいと思った。
そしてその頃、まったく絶妙のタイミングで登場したのが 「ビートルズ事典」という豪華本だった。 書店で見つけてパラパラと内容を見て、当然すぐさま手に入れたかった、がその購入は悩んだものである。なぜならその金額が当時のLPレコードとほぼ同額の、2800円(確か)だったからである。 「これを買うなら、LPレコードが1枚買えるじゃないか…..」。悩んで当然の、時は1974年も終わり頃であった。 なぜそれ程欲しくなったのか?理由はいくつかあるが、書店でパラパラと内容をチェックしてみて、そこに例の“海賊盤”の解説がなされている事を知ったことが大きな理由となった。
なにしろそれらのジャケットなどはまったく初めて目にするものであって、そもそも法的に御法度である“ご禁制の品”が公の書籍の中に姿を現すことは前代未聞に思えたのだ。(仮に、雑誌などのコラムには紹介されていようとも)
とにかく、まだロクに普通の輸入盤だって買ったことがないような中学生のガキにしてみれば、頼れる大人なども知らないし、資料になるモノが欲しかった。 なにしろそこには、60枚ほどの“海賊盤”が紹介されており、ジャッケットとタイトル、そしてその収録内容と、音質や盤質についてまで解説されていたのである。
そしてそこで知ったのである。“海賊盤”とはデタラメ千万なものがその大半を占めているという事実を。そもそもタイトル表記も間違い(故意なウソ)だらけ、音質は最低、盤質も最低のノイズだらけであるという。要するにクズもイッパイあるという事実である。 まず、Live盤の会場などはその殆どがデタラメ。まあ、時代的に誰もビートルズが何年の何月何日に何処の国の何処の会場でコンサートをやった、などということをマトモに記録して把握されていたような時代ではなかったというのもそうした原因と言えなくもないが….。
音質もTVやラジオ音源ならまだマシな方で、会場直録りなどであったなら演奏は殆ど何も聞こえず、観客の女たちの叫び声が殆どでとても視聴に耐え難いシロモノであると。しかし、TVやラジオ音源などといっても、スピーカーを通してマイクロフォンで拾っての録音だったりするので油断は禁物のようだったり。 とにかく、通常の輸入レコードであっても「盤質が悪い」「製品管理が悪い」「音が悪い」と言われていて「キズがあるのも当たり前」のように思われていた時代、日本盤の高いクオリティを基準にして育った中学生のガキにとっては、“指南書”も何も持たずに突入するには、“海賊盤”とはあまりにも恐ろしい世界であり、そんな無謀な行為は結果として高額な対価を支払うハメになる事は、たやすく想像できたからであった。
・・・迷路は続く
ビートルズ(The Beatles)には「公式ライブ音源」が無かった。要するに「ライブ盤」が存在しなかったのである。 今でこそ20世紀最大のグループであったように位置づけられているザ・ビートルズ。
その彼らも‘60年代に於いては、他のポップ・ミュージックやそのグループたちと同様に定期的にレコーディングに取り組み、シングルおよびアルバム、或いはEP(*1)を発売し続け、それがデビューから解散までの間繰り返された。 しかし元々、ビートルズというグループの最大の“ウリ”は、根っからのライブバンドであったことであろう。それなのに、である。
いずれにせよ、当時中学生のガキだったわたしは、そんなことなど知るよしも無いことではあるが、ライブ音源への興味には別の理由があった。 その時から遡ること8年ほど前の1966年にのみ行われた唯一の「日本武道館公演」への関心が高かったからだ。自分の親たちの世代なら見ることも可能であったであろう、そのコンサートに思いをはせたものである。
解散後のビートルズメンバーのソロ活動が最も活発化していた、そんな‘70年代も中盤にさしかかろうとしていた時、同級生の一人の男が持ってきたライブ音源を学校で聞く機会があった。いわゆる音楽マニアである。
ごく普通のライブ盤に聞こえた。要するに公式に発売されるような「まともな音」にきこえたのであった。 「あっ!ライブ・イン・ジャパンだ!?」と発作的に思った。なぜなら、あのコンサートはTVでもオンエアーされたということを聞いたことがあったので、TVからの録音とかを何らかの形で入手したものなのか? まだ、その音源がレコードであるとも、その現物を見てもいなかったからでもあった。(実際は他のコンサート会場など知りもしないガキだったので、ライブ=ライブ・イン・ジャパンの図式であった。)
その後、その所有者当人に直接質問したところ、それは「Live in Japanじゃないよ、Hollywood Bowlのコンサートだよ」と聞かされたのであった。 因みに、「どこ?それ??」とツッコミを入れても、そいつも知らなかったことでしょう。ただHollywoodなんだからアメリカらしい、映画の都と関係があるのかな? そんな程度の認識と情報量でした。インターネットも無く、専門的な研究家なども居ない、そんな時代には。公式なデータなんて、何処にも存在しておりませんでしたので。たとえその対象が、あのビートルズであっても。
正式には 「Back in 1964 at the Hollywood Bowl」それがその、わたしが初めてその存在を知ることとなった“海賊盤”の名前であり、これを知ったことがこの後の泥沼化の原因を作ったきっかけとなったわけでもある。
・・・迷路は続く
*1)17cmレコードの中にも4~6曲が収まるように時間を延ばしたものもあり、そのうち33回転のものは「コンパクト盤」と呼ばれる。CD時代以降にEPと呼ばれる作品は、こちらのコンパクト盤を指すことが多い。